hobbyな人々


第5回目を迎えた今回は、65回卒業の米山博己先生をご紹介いたします。
入学してから出会ったヨットの魅力と奥深さについて、貴重な写真と共に
たっぷりと語っていただきました。

石井良雄先生

第5回

65回卒 米山博己

 私がヨットに出会ったのは、大学に入った4月、クラブ活動の勧誘でした。

 部活の拠点であるヨットが置いてあったのは、三浦半島の荒崎という所で、大学から2時間半も電車、バスを乗り換えなければなりませんでしたが、毎週の様に通ったものでした。始めてヨットに乗り海へ出た爽快感は一生忘れません。風だけで走り、聞こえるものはフネが水を切る音、風の音、この時以来ヨットの魅力にとりつかれてしまったのです。

学生時代

 当時は、先輩達の様に自由にヨットをあやつれたらどんなに楽しいものだろうと、 その操縦法、気象、海図の読み方など海に関する全てのことを知りたいという気持ちでいっぱいでした。部活でのヨットは2人乗りでしたが、私は自分ひとりであやつるヨットが欲しくなり、2年の時、アルバイトをしたお金で中古のひとり乗りを購入し、そのヨットで江ノ島での全日本などに参加したものでした。

 ヨットというものは、ハーバーを出て、帰るまですべて自分の責任でもって命を守り、他の人に迷惑をかけないようにしなければなりません。特に気象に気をつけ、海に出る前には天気図を見、海上では雲、海面を見て風がどこから吹いてくるのか、海が荒れるか、それとも凪ぎになるのかを予測し早め早めに対処しなければなりません。これが自然を相手にするスポーツでありその醍醐 味でもあります。


大学時代のクラブ写真
 大学を卒業する頃からは、64回卒の萩原先生とコンビを組み、オリンピッククラス470で各レースに参加していました。世界では、ワンデザインヨット(世界中同規クルーザーヨット)で乗員の体重合計が400キロと、ヨットの性能はほぼ世界中同じで、乗り手の技術で競い合う艇種が出てきました。我々も早々、ヨット部のOBで購入し、艇名「オリーブ」で第1回全日本から現在まで27年間毎回出場しており、このクラスのヨ ットは、日本でも世界でもオリンピック選手などがクルーとして乗り込んでいるとてもレベルが高いと言われていますが、今やそのクラスの長老と言われるグループまでになりました。

1982年オーストラリア世界選手権:1

1982年オーストラリア世界選手権:2
 我々のチームは、64回卒萩原先生、65回卒米山、68回卒松野先生、70回卒倉本先生、96回卒の私の息子勇哉が主なメンバーであり、このクラスの日本代表として、1981年オーストラリア、シドニー(当時私は32才)、1989年カナダ、キングストン、1992年アメリカ、アナポリス、2001年日本、西宮、2004年カナダ、キングストン、過去5回世界選手権に出場しております。やはり世界のレベルは高く、成績はご想像にお任せしますが、世界一流選手と同じ土俵に立ってレースをするというすばらしい時間が持てることに満足しております。

カナタでの世界選手権

カナダのキングストン

日本での世界選手権

2008年 全日本でファーストフォーム

油壺沖でのレース

2009年全日本

2009年 三宅島で釣る

三宅島沖
 現在、私は日本セーリング連盟の医事副委員長をさせていただいており、ヨット部門におけるオリンピック選手やヨット各種目のワールド遠征選手の口腔ケアをし、また、日本の各地の先生方にも選手達の支援をお願いしております。

 海というものは、人に心を大きく、優しくしてくれるものだと思います。海を見ているだけで良い。まして、海の上でプカプカ浮いて空を眺め、風の音、波の音を聞き、のんびりする時間を最大の喜びと感ずる今日このごろです。


親子て2人乗りレース