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「土漠の民」(モロッコ) 64回二科展会長賞
「土漠の民」
(モロッコ) 64回二科展会長賞



 「写真家として思うこと」     57回卒 石原正道


 誰がphotographを写真と訳したのか定かでないが、名訳だと思う。一説では中国語の“真を写したもの”から写真という言葉が生れたと言う。

 文化大革命が終息して、さほど時が経たない頃、中国桂林を旅する機会を得た。殆どがベテランの写真家に混じっての旅では多くの刺激を受けた。帰国してすぐ二科の例会に誘われ参加した。街の写真クラブと思っていた私は、大きな衝撃を受けた。少年時代、父の読んでいたアサヒカメラという写真雑誌で活躍していた、林 忠彦、秋山庄太郎、大竹省二というあこがれの写真家が作品指導に当たっていたからである。

 子供の頃から父の元で写真を撮り、フィルムの現像、焼き付けを自由に楽しんでいた私は、二科の手練の先輩が、よく“真を写すのが写真だぞ”と発破をかけることに違和感をかんじていた。photoとは光、graphは図形、つまり光で描く絵であって何も真を撮らなければ写真ではないという縛りは無い。写真と平行して絵や書に親しんでいた私は、写真はアート、自由に追い求めれば良いと思っていた。枠には拘らず作品を作り続けていた私を、巨匠である秋山庄太郎、上田正治、大竹省二氏などが息子のように接してくれた。共に行動するなかで写真家としての矜恃を教えてもらったと思う。現在、二科会写真部の理事として、若い世代を育てる立場となったが、中途半端な写真家で終わりたくないと思っている。





「夜明けの序曲」(東京、多摩川)
「夜明けの序曲」
(東京、多摩川)


「オールドタウンの紳士」(コロンビア・CA)
「オールドタウンの紳士」
(コロンビア・CA)


「守る」(ユキヒョウ・多摩動物公園)
「守る」
(ユキヒョウ・多摩動物公園)

(メルズーカ・モロッコ)

(メルズーカ・モロッコ)

 


石原 正道(いしはら・まさみち)
1942   栃木県宇都宮市生まれ
1968 日本歯科大学卒業
1972 日本歯科大学大学院修了
1975 東京都日野市にて開業
2001 写真展「香風戀花I」(東京・八王子東急スクエア)
2002 写真展「香風戀花U」(東京・五反田富士フォトギャラリー)
2004 一般社団法人二科会写真部会友推挙
2009 写真展「西アメリカ−古き香りの残る街を訪ねて−」(東京・六本木富士フイルムフオトサロン)
写真展「パラオ・ペリリュー島光と影−太平洋戦争60年後の記録−」
(東京・銀座ギャラリーアートグラフ)
2010 一般社団法人二科会写真部会員推挙
写真展「夜明けの序曲−多摩川の川霧に魅せられて20年」(東京・銀座フレームマン.ギンザサロン)
2011 写真展「AMERICAN SOUTHWEST」(東京・銀座フレームマン.ギンザサロン)
2012 写真展「琳派憧憬」(東京・新宿ペンタックスフォーム)
2013 写真展「叢 KUSAMURA」(東京・新宿ペンタックスフォーラム)
写真展「叢 KUSAMURA」(東京・銀座フレームマン.ギンザサロン)
2016 写真展 AMERICAN SAUTHWEST (東京・銀座フレームマン.ギンザサロン)
2018 写真展 ゆずりはら−長寿の里と言われた集落−(東京.銀座フレームマン.ギンザザロン)
写真展「叢 KUSAMURA」(東京・銀座三愛ビル)
写真集 AMERlCAN SOUTHWEST(日本写真企画2011)
叢 KUSAMURA(日本写真企画2013)絶版
AMERlCAN SAUTHWESTU(日本写真企画2016)

 




「昼下がり」(タオスプエブロ・N.M)
「昼下がり」
(タオスプエブロ・N.M)


「風紋」(ホワイトサンズ・N.M)
「風紋」
(ホワイトサンズ・N.M)

(モンサント・ポルトガル)

(モンサント・ポルトガル)

驟雨のオビドス(オビドス・ポルトガル)
「驟雨のオビドス」
(オビドス・ポルトガル)

叢(東京・日野市平山)
「叢」
(東京・日野市平山)

(櫛形山・山梨)

(櫛形山・山梨)

追憶(ゴーストタウン、ボーディ・CA)
「追憶」
(ゴーストタウン、ボーディ・CA)

風骨(コロンビア・CA)
「風骨」
(コロンビア・CA)